What's up?

祖父のメールから学ぶこと

2017年10月5日のメール。

※注 芳子とは亡くなったおばあちゃんのことです。

 

 

毎日毎日歩くのは今後無理だね
此旅で何か感じた事が有ればいいが
昔と異なりアジアの田舎の国だったのがこんなに発展して目を見張るばかりに成りました
うかうかして居るとシャープが台湾企業に変身したように彼方此方でその様な事が起こるかも知れない時代に成ってきました
旅に行く前に借りた本(志は高く 目線は低く)久保利英明 作 この人俺の考えている其のままを本にしたようなものなので一度読んでみて
この人は学も実行力も有り世界を股にかけ今後の日本の在り方を言い当てています、俺の様に田舎者で財産も無く先ず生きる事から始めたた俺も
25歳の時新宿コマスタジアムに16人の募集に500人余りの応募者の中からトップと言ってもいい位の成績で入り12人の技師長を務めていたが此処は俺の将来の仕事場で無いと思い
2年余で辞め次に日本ヴィクターに入り期待したが3カ月で此処も辞め転々と仕事を変えもう俺も田舎え帰らないとダメかと思って居たが今の代々木の
体育館の所は昔ワシントンハイツと言って米軍宿舎で Air house BX ワシントン ハイツ と言って居たんですそこで仕事が有り世界各国の大使館及び米軍家族の
米国製、オランダ製のTVのみの修理をやり生計を立てていたその時分結婚したり家を建てたり現在の所に3坪ほどの家電店を立ち上げ3年後に百草団地店、15年後に落合団地店を経て
66歳で閉店退職、在職中は一風変わった業者として名を馳せました其のお陰で今日が有り、同業者とは同じ道を歩まないをもっとうに遣ったお陰で今日が有ります、
1万円足らずの金をもって20歳で上京蒲田、自由が丘、武蔵小山高田馬場三鷹、新宿、と変転、俺には運が常に纏わりついて、幸運な過去であったことが解ります、絢ちゃんも
どんな人生が待ち構えているか判りません他人に頼らず人事を尽くして天明を待つしか有りません。
私には芳子が居たればこそ今日が有り毎日が感謝です、願わくば今後はグローバルな思考を持たないと難しいと思う。頑張って絢ちゃん
グラン

私が33歳で3坪の店開店して米軍施設で仕事を半日して午後多摩市と町田方面にセールス、当時ワシントン、ハイツは東京オリンピックの為調布の関東村に移転売上が当時為替が360円で
1か月約500ドル18万円   米軍の新兵が100ドル軍曹で500ドルの時代
家電の売り上げ50万位
関東村は調布の榊原記念病院他飛行場の場所、新宿コマに入る前約2万円の給料がコマスタヂアムの給料は1万1千円でした、若い人は7千円だったです、普通の会社の初任給1万以下